ぼくらの旅と風景-日本橋〜三条大橋-
私が彼と一緒に過ごしてきた時間は家族の次に多い。小学生の頃は、ただのクラスメイトで少し遊ぶくらいの仲だったが、中学生になった頃から、一つのゲームソフトをきっかけによく遊ぶようになった。お互いの実家が歩いて五分のところにあったこともあり、私が大学に入って間もない頃は、毎日のように深夜に会って、お酒を飲み、音楽を聴き、ゲームをし、歌詞を作りギターを弾きながら歌った。それから数年が経ち、私の実家が同じ県内の離れた場所に移ることになっても、それ以降も月に二回は会っていた。きっと、私たちはお互いにとって、なくてはならない存在になっていたのかもしれない。その頃から、私たちは「歩く」ということを始めた。これが私たちの旅の始まりだった。
最初は観光地に行き、そこの寺社を全て回ることから始まり、その次は、旧中山道を半分まで歩いた。他にも交通機関を使わないで目的地まで歩くことなど「自分たちなりの旅」を楽しむようになっていった。私はそれらを写真に残したいと、シャッターを切った。
その中で、私たちは一つの目標として東海道五十三次を歩くことにしました。この写真はその作品の一部になります。しかし、これは旧東海道を正確に歩いたものではありません。あくまで友人と私にとっては、東海道という道は一つの指針であり、途中の歩きたいと思った道や見たいと感じた風景は、私たち自身で選択してきました。旅は自由であり、道を選択するのも自由だからです。
私がこの作品を通して伝えたいことは、一人の友人の大切さです。もし、現在、何かに悩んでいる人がいたら、ずっと続く友人を一人で良いから見つけて欲しいということです。そして、その相手と同じ時を共有して欲しいということです。それだけで、人生はとても豊かになります。私が若い頃に患った精神的なものを克服できたのも彼がいたからこそです。私にとって、彼と一緒に過ごしてきた時間はかけがえのないものであり、これからもそうです。現在では、彼は家族のような存在です。
私が結婚をし披露宴の時に、彼が言ってくれた言葉は「自分のことのように幸せです」というものでした。私も何よりも彼が喜んでくれたことが一番嬉しかったのです。現在(いま)の時代、友情という言葉を聞かなくなったような気がします。陳腐な言葉に思えるからでしょうか、熱い感じがしてかっこ悪いからでしょうか、そんなことはないと私は思います。この時代だからこそ、そういったものが大切だと私は思います。それだけで、いつになっても私たちは子供の頃を忘れずに、現在(いま)を生きていくことができます。
彼と私が、東海道を指針に歩いた旅を楽しんでいただけたら幸いです。
また、作品ページにある、第1回伊藤知巳写真賞をいただいた「ぼくらの風景」も、友人との旅ですので、見ていただけると嬉しいです。